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命を宿す人形

布製解体人形(第1章3節)

人形遊び

キャラが勝手にしゃべり出す——。マンガ家がこのようなことをいっているのを聞いたことがないだろうか。日本に限らず海外の小説家も小説家志望に対し同じようなことをいっている。あらかじめプロット(台本)を定めておいても、物語を書き進めているうちに魅力的な登場人物だったら勝手に動いていくから、プロットなど不要、プロットに縛られるな、と。つまり、作者自身の創造物であっても、魅力的なキャラクター(登場人物)は独立した意志をもち、作者の思いも寄らなかった行動をしはじめるのだ。

こういったことは人形愛者には容易に理解できるだろう。なぜなら人形オーナーも、サイトやブログを立ち上げたら、当たり前のように人形にしゃべらせているからだ。

人形遊びしている4号。それを見ている5号。6号はそっぽ向いている

逆に考えると、マンガ家や小説家になるような人は、幼い頃に人形遊びを経験しているのではないだろうか。人形を与えられた瞬間、人形が、自分の手のうちでしゃべり出す、動き出す。むろん、それは人形を手にする者の〈想像力〉によるもので、小さな〈空想の世界〉(もしくは孤独な世界)での出来事だ。だが、そのときこそ、人形が命を宿す瞬間でもある。

空想の世界を築き上げる

人形がなくとも、たとえば落書きを描きながら無意識に、これこれはこういう性格だ、こういうことを考えている、といった想像力を働かせ、キャラに命を吹き込んでいることもあるだろう。なんならそこに吹き出しを付け加えて文字を書き入れ、キャラにしゃべらせる。まさにストーリーマンガの始まりだ。また、たしか『赤毛のアン』の主人公アンの幼い日のエピソードでは、本箱のガラス扉に映る自分の姿に名前をつけて友達とし、会話を楽しんでいる。つまり、空想の世界は個人の想像力に依拠し、必ずしも人形を必要としない。しかし、あえて言うならば、人形さえあれば、空想の世界は、リアルにそこにある。誰もがしぜんと空想世界を築き上げることができるのだ。

19号を取り巻く4号、5号、6号

マンガ家にしろ小説家にしろ、創作的な仕事をしている人は、人形を傍らに置いておいて、ストーリーが思い浮かばなかったり、書くことができなくなったりしたときには、人形に話しかければいいのではないかと思う(なるべく内なる声で)。その人形が自分にとって魅力的であればあるほど、会話しているうちに、きっと素晴らしいアイディアやヒントを与えてくれるであろう。

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